実況アナの自慰的コラム

好きなときに、好きなことを書きます。

うっせぇわ

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより健です

 

 

と、歌いたくなるような記事がこちら。

一部で残念なシーン…大学野球にホームランパフォーマンスの「カメラ目線」は必要ない | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE (findfriends.jp)

読んでいただければわかりますが、「疑問を呈す」というレベルではなく、完全に「悪」であると決めつけて書かれています。

しかも、いちライターが個人的にブログやSNSで発信したものではなく、スポーツ誌を取り扱う大手企業の運営するサイト内にて、コラムとしてアップされています。

ということは、これは企業全体の総意ということなのでしょうか。

だとしたら大変残念に思います。

私は普段からこの企業の刊行物を拝読していますし、とても楽しませて頂いています。

ですから余計に、今回の記事が信じられません。

なにかの間違いなんじゃないかと、未だに思っています。

 

 

私が感じる、この記事の問題点は2つ。

➀主張の根拠が極めて独善的かつ脆弱。

②にも拘らず、特定の学生(たち)を「悪」だとみなし、攻撃している。

では、1つずつ見ていきます。

 

 

➀主張の根拠が極めて独善的かつ脆弱。

この記事での主張は「学生野球にホームランパフォーマンスは必要ない」というものです。

そう思うこと自体は、当然ながら何の問題もございません。

しかしながら、プロの物書きがその考えを公式な場で発表する場合、それなりの根拠を示さねばなりません。

プロの言葉は多大な影響力を持ち、故に責任を伴うからです。

どっかの素人が匿名でクソみたいな持論を垂れ流すのとはわけが違うのです。

さて、ではこの記事ではどんな根拠が書かれているのでしょう。

私が拝読した限り、

 

a.目に余ったから。

b.教育活動に華美な行動は必要ないから。

c.コロナ禍において身勝手な行動は許されないから。

 

の3つが示されていました。

まずa.はただの個人の感想なので論外です。

b.は、この根拠自体に根拠がありません。記事内では『大学野球は~中略~「教育活動の一環」である。つまり、華美な行動は必要ない。』とありますが、そんなことは決められていません。そのため、この文中の『つまり』という文言は前後の因果関係を何も担保していません。これも根拠たり得ていないのでダメです。

c.は昨今の社会情勢をバックに持論を補強しようとしていますが、「ホームランパフォーマンス」が「許されない程の身勝手な行動」であるかは甚だ疑問です。これに関しては明確な答えはありませんが、プロが主張の根拠として持ち出すにはあまりに弱いです。これも個人の感想の域を出ていないので、ダメです。

以上を総括すると、この「学生野球にホームランパフォーマンスは必要ない」という主張の根拠は、「筆者が気にくわなかった」という一点のみです。

こんなものは正当な主張とは到底言えません。

 

 

②特定の学生(たち)を「悪」だとみなし、攻撃している。

➀で述べたように極めて弱い根拠しかないにも拘らず、パフォーマンスをした学校や選手たちを公衆の面前で声高に非難しています。

学校名や選手名こそ出していないものの、放送を観ていた方々や本人たちはすぐに気付くでしょう。

彼らは一度きりかもしれない夢の舞台で、一生懸命練習してきた成果が出たから、チームみんなで喜びを爆発させただけです。

私が実況した試合でもそういったシーンがありましたが、決してマナー違反には映りませんでしたし、相手に対して侮辱的な態度はとっていませんでしたよ?

まあ、これも私の個人的な感想だと言われればそれまでですが。

そんな学生たちの純粋な喜びを、プロの物書きが、「気にくわなかったから」という理由だけで、スポーツ誌の最大手ともいえる企業が運営するサイト内のコラムで、まるで「悪」であるかのように論ずる。

疑問を投げかける程度ならまだしも、こんなに攻撃的な物言いが公衆の面前に放たれるなんて異常です。

本当に残念でなりません。

 

 

終わりに

この「学生野球にホームランパフォーマンスは必要ない」という記事に対して、様々な意見(ほとんどが否定的ですが)がネット上に飛び交っています。

しかしその中には、

「マスメディアが学生を煽る方が悪い」

とか、

「そんな(パフォーマンスを映しやすい)所にカメラを置かなければいい話」

とか、

「見世物なんだからいいじゃん」

とか、わけの分からないことを言っている人たちが散見されました。

そういう問題じゃないんで、頭を冷やしてください。

そもそも煽っていませんし、ベンチ横にカメラがあるのはパフォーマンスを促すためではありませんし、見世物という言い方はどうかと思います。

私が思うのは、プロとして文章を書くことを生業とするなら、主張に見合う根拠を明示したうえで、記事を公にして欲しいということです。

学生スポーツを取り上げるなら尚更です。

そこのところ、どうかよろしくお願いいたします。

 

「俺、國學院の試合を喋ったよ」

いつかは、とは思っていました。

ただ、こんなにも早く実現するとは。

 

 

2021年6月10日

第70回全日本大学野球選手権記念大会 準々決勝 第4試合

國學院大學 対 福岡大学

解説:井端弘和さん

リポート:羽村亜美さん

実況:足立清紀

 

 

國學院の野球部の門を叩き、何もできず、逃げ出してから12年。

野球選手になるという夢が潰えてから12年。

たまプラーザのグラウンドで死んだ「野球選手の私」の亡霊は、遠く離れた大学野球の聖地・神宮で遂に成仏し、選手たちの歓喜と溜息と共に夜空に溶けていきました。

 

※詳しい事情については以下をご参照ください。

國學院大學の優勝に思いを馳せる➀ - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

國學院大學の優勝に思いを馳せる② - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

國學院大學の優勝に思いを馳せる③ - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

 

 

試合が始まるまで、

 

「あのときの皆は俺の実況を聴いてくれるだろうか」

「出演者の名前を見て、俺のことを思い出すだろうか」

「いつも以上に上手くやってやるんだ」

「変な失敗なんかしたら、目も当てられないぞ」

 

いろんなことを考えました。

実況担当として決して良いことではないと思いながら、それを拭い去れずにいました。

本当にいろんなことを考えて、いろんなことを思い出しました。

しかし、プレイボールがかかってすぐ、私の下らぬ雑念は一瞬にして吹き飛ばされてしまいました。

 

國學院大學福岡大学が繰り広げる白熱した試合展開。

拙攻、拙策が招くロースコアではない、正真正銘の投手戦。

両チームの選手たちが魅せる充実した表情。

張り詰めた空気。

乾いた打球音。

歓声と悲鳴。

笑顔。

涙。

 

試合は延長10回タイブレークの末、2対1で福岡大学がサヨナラ勝ちを収めました。

公益財団法人 全日本大学野球連盟 (jubf.net)

午後6時56分に動き出した白球が、その足を止めたのは午後9時50分。

この長く濃密な時間の中に、私の思いや事情などが入り込む余地は一切ありませんでした。

私はただ、目の前で起きていることを伝えるだけ。

それで十分でした。

(本来、実況とはそういうものなのかもしれませんが。)

 

 

帰り道、銀座線に揺られながら、私は初めて両親に仕事の報告をしました。

 

「俺、國學院の試合を喋ったよ」

 

すると、

 

「あの時の清紀に言ってあげたいね」

 

と返ってきました。

お母さん、あの時の俺はついさっき成仏したから、もういないのです。

でも、もし伝えることが出来たら、彼(私)は何と言うのでしょうか。

 

「えー。実況アナウンサーなんかやってんのかよー。」

 

とか言ってくるんでしょうか。

そしたら殴ります。

昔と違って、今の私はボクシングをやっていますので。

 

 

2021年6月10日は、私にとって忘れられない日になりました。

かつての夢が死に、新たな夢が叶った日です。

自分の中で大切にしていきたいと思います。

ちなみに、次の夢はまだ決まっていません。

ただ、もし未来の自分がやって来て「夢が叶ったぞ」と言われた時には、

 

「えー。まだ実況アナウンサーなんかやってんのかよー。」

 

と言い返すことができたら良いな、と思っています。

その時まで、引き続き頑張ります。

 

明治大学で授業をしてきました。

「世もですね」

なんていう謙遜は受講してくれた学生の皆さんに申し訳ないので、あえてしません。

先日5月25日、明治大学生田キャンパスにて100分間の授業をさせて頂きました。

ご依頼くださったのは、今年度から明治大学の専任講師に就任されたプロテニスプレーヤー・佐藤文平さん。

 

【佐藤文平さんプロフィール】

佐藤文平

ファイトあふれるプレーで、コートを熱くするプロテニスプレーヤー。
07年インカレ優勝。
08年早稲田大学スポーツ科学部卒業、そしてプロデビューと同時に早稲田大学大学院修士課程進学。10年修士課程修了。
12年には日本が初出場となったATPワールドチームカップデュッセルドルフ大会)に日本代表として出場。13年全日本テニス選手権ダブルス優勝。

※『プロテニスプレイヤー佐藤文平 オフィシャルブログ』より抜粋

 Profile | プロテニスプレイヤー佐藤文平 オフィシャルブログ (tennis.jp)

 

彼とは2017年の「スポナビライブ」からの付き合いで、当時テニスに関して素人同然だった私に様々なことを教えてくださったであり、この業界では数少ない友人のひとりです。

そんな文平さんからのご依頼ですから、受けないなどという選択肢はありません。

というか「大学で授業をする」なんて身に余る程の貴重な体験は絶対しておきたいですから、断る訳にはいきません。

私は二つ返事で快諾させて頂きました。

 

 

授業内容は基本的に自由とのことでしたが、

➀理系学生が専門の研究とは別に受講を選択した「スポーツ科目」の講義である

②専門外の分野を学ぶ意義を考えさせて欲しい

という二点を念頭に置いて欲しいとの旨だったので、以下のようにプログラムを作ってみました。

 

【表題】
『或る実況アナのキャリア経緯と人生におけるスポーツの意義』

【対象】
明治大学理工学部在籍の1・2年生およそ20名。

【目的】
➀なかなか知ることがない「アナウンサー」の仕事について、楽しく知ってもらう。
②これまでのキャリアを紹介することで、就職活動を控える大学生たちに勇気や自信、自己肯定感を与える。
③一見キャリア構築と関係のない「スポーツ」の意義について、前向きに捉えるきっかけを与える。

【講義の流れ】
1. 自己紹介

2.アナウンサーについて
➀アナウンサーという業種について
②アナウンサーの仕事の流れ(営業編)
③アナウンサーの仕事の流れ(現場編)
フリーアナウンサーになるには

3.キャリアについて
➀自身のキャリアを振り返る(大学受験編)
②自身のキャリアを振り返る(國學院大學編)
③自身のキャリアを振り返る(立教大学編)
④自身のキャリアを振り返る(就職活動編)
⑤自身のキャリアを振り返る(会社員生活編)
⑥みんなに伝えたいこと「失敗の先にも自分を満たしてくれるものがある」「キャリアは決して1本道ではない」

4.スポーツと触れ合う意義
➀心身の健康状態の維持
②日常に(少しの)彩りを与える
③人との出会いがある

5.まとめ

6.質疑応答

 

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20名強の1・2年生に対してパワポを用いて行いました

学生さんたちの非常に協力的な姿勢もあり、授業はほぼ滞りなく進みました。

がしかし、これはあくまで私側の問題なのですが、全体的にプレゼンテーションぽくなってしまったのは反省点です。

せっかく皆さんと距離が近かったのだから、もう少しインタラクティブに、対話重視で進めるべきでした。

その点は申し訳ないことをしてしまいました。

あとは、自身のキャリア経緯の紹介をする際、ちょっと自虐的になりすぎたかな。

数多くの挫折逃亡を経ての現在なので、その辺は致し方なしなのですが・・・。

リアクションペーパーなどの提出は無く、彼らがどんな感想を持ってくれたかはわかりません。

ですが、私の拙いメッセージの中から何か少しでも今後の役にたつものを見つけてくれていたら嬉しいです。

 

 

アナウンサー(ことスポーツ実況)という職業は、普段自分のことを誰かに話すという機会は多くありません。

選手や解説者、ゲストなど、常にほかの主役がいて、彼ら彼女らを引き立たせるためにどうするのかを主眼に置く必要があります。

それはそれで必要な役割ですし、その脇役に徹する姿勢こそが評価されるという側面も大いにあります。

しかし、あまりにその役割に慣れ過ぎてしまうと、いざ「自分のことを話してください」と言われた際、つまり「主役になってください」と言われた際に空回りしてしまうことが多々あります。

今回の授業での経験は、「自分のことを話す」という意味で「主役になる」という、この業界にいる上ではあまり経験できない貴重なものになりました。

なんとなく一皮むけた気がします。笑

本当にありがとうございました。

 

 

さて、次回の授業は秋ですかね。

文平さんには冗談ぽくお願いされましたが、私は割と本気です。

次は、よりインタラクティブに、対話重視で授業を進められればいいな。

こうして授業の実績を積んで、ゆくゆくは大学講師になって、自分の研究室をもって・・・。

そうなったらフリーアナウンサーなんかよりよっぽど安泰です。

 

 

・・・。

 

 

決めました。

将来は大学教授になります。

そのために、これからも定期的に授業をさせてもらって実績を増やさなければなりません。

文平さん、次回のご依頼を心からお待ちしております。

 

 

おわり

余計なことを言っちゃいました

反省しています。

5/23にJSPORTSで放送されたサイクルロードレースジロ・デ・イタリア第15ステージでのこと。

その前日、エオーロ・コメタというチームの若い選手が、難易度の極めて高いステージを見事に制しました。

数多の強豪選手を出し抜いての大金星は全てのロードレース関係者を驚かせた訳ですが、それは優勝者を輩出した当事者であるエオーロ・コメタのチームスタッフも同様でした。

中でも、チーム運営に携わるかつてのスーパースター、アルベルト・コンタドール氏が見せた歓喜のリアクションは大きな話題になりました。

「レジェンドがまるで自分自身が優勝したかのように、いや、その時以上に興奮し、感動し、歓んでいる!」

ともすれば滑稽に映るほど大きなリアクションでしたが、彼の人柄やこれまでの功績を知る自転車ファンたちは、その姿に心打たれたようです。

無論、私もそのうちの一人でした。

 

 

この「重大トピックス」は、もちろん翌日の放送内で取り上げられました。

コンタドールの、あの歓びようは物凄かった」

それを聞いた私は、よせばいいのに、こんな旨の発言をしてしまいました。

「上司は部下の成果を”歓ぶ義務”がある!」

なんとまあ大仰な、それでいて偉そうな物の言い方でしょう。

こうして冷静に振り返ってみるとそう思うのですが、その後も私は余計なことを長々と喋ってしまいました。

生意気な講釈を垂れ終えたあと、共演者の方からこんな旨の問いが投げかけられました。

「その”上司”って、誰のこと?笑」

これを聞いて、(しまった…)と思いました。

そう言えば、私が「上司」的なワードを発するとまず真っ先に、視聴者やスタッフの脳裏に思い浮かぶ存在があったではないですか。

他の中継ならいざ知らず、少なくとも「此処」ではそうです。

本当にそんな気は全くありませんでしたが、私の不用意な発言によって、

「なかなか素直に褒めない事務所の社長(=上司)と、自分の仕事の成果を喜んでもらいたい私(=部下)」

という謎の構図が出来上がってしまったのでした。

私は先ほどの問いかけを、いつも以上に不器用に受け流しました。

なんだか余計にややこしくなりそうな、へたくそな対応でしたが、全てはもう後の祭りでした。

 

 

なぜ私は迂闊にもこのような発言をしてしまったのでしょう。

一応エクスキューズはあります。

まず、そもそもフリーアナウンサー業界において上司・部下という関係性はほとんどありません

それぞれが個人事業主となり、芸能事務所などと個別に契約を交わし(「雇用契約」ではなく「タレント専属契約」)、各々が主体的に経済活動を営む、というケースが大半を占めます。

専門的な言葉を用いれば「使用従属性がない」場合が多いということです。

例えば、その仕事を引き受けるか否かといった最終的な判断は、個々人に委ねられています。

例えば、その仕事に必要なモノやカネ(資料や交通費など)は、基本的に各々が個別に負担します。

もちろん、事務所に所属することでクライアントからの信頼を得ることが出来たり、それによってお仕事を頂けたり、情報共有が出来たりする訳で、私も普段からそれはそれは本当にお世話になっているですが、それぞれの関係性という側面においては、

「あくまでも個人事業主同士であり、ゆえに一般的な上司と部下の上下関係はない」

と考えているのです。

ですから、あの発言の最中、私は本当に誰のことも思い描いてはいませんでした。

強いて言えば、サラリーマン時代の上司がチラッと、くらいなもんでしょうか。

しかしながら、あまり招きたくなかった誤解を生んでしまったかもしれません。

皆様のために、というよりも自分自身のために、大いに反省すべき一連の出来事でした。

案の定、SNSでの反応を見ると、

「足立さんが社長に向かって"褒めてくれ"と尻尾を振っている姿が目に浮かぶ」

的なことを仰っている人がいました。

そんなことするか。笑

いったい俺のキャラはどういうことになってんだよ・・・。

まあ、自分のせいなので仕方ないんですけどね。

 

 

さいごに(重要!) 

さて、そういった関係性であることをご理解頂いた上で、私は我が事務所の社長を1人のプレーヤーとしてとても尊敬しています

それと同時に、この業界における偉大な先人であり、信頼できる大先輩であり、感謝すべき恩人の1人だと思っています。

前述したように、本当にお世話になっています

年に10回お会いするかしないか、なのが少し寂しいところではありますが。笑

これだけはしっかりと書いておかなければいけない大切なことですので、付け加えさせて頂きました。

その上で、最後にこれだけは言わせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社長~!もっと褒めて~!!(しっぽフリフリ)」

 

 

國學院大學の優勝に思いを馳せる③

➀はこちら。

國學院大学の優勝に思いを馳せる➀ - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

 

②はこちら。

國學院大学の優勝に思いを馳せる② - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

 

 

國學院大學は、大いなる挫折と貴重な出会いを経験させてくれました。

結果的に私はそこから逃げてしまったため、堂々とOBを名乗ることはできません。

と言うか、実際にOBという括りに入ることはできないでしょう。

しかし私の人生に強い影響を与えてくれた学校なのです。

ですからリーグ戦の結果は、ここ10年間いつも追いかけていました。

二部降格こそなかったものの、私が辞めて間もない2010年秋以降は長らく優勝から遠ざかっていたことも知っていました。

そんな中での、この度の優勝。

私はその立場ゆえ、あまり大きな顔で「おめでとう!」とは言えませんが、心から嬉しく思います。

この複雑な心境は、昔お付き合いしていた方の結婚をSNSで知ったときに似ていると言えば皆様に伝わるでしょうか。

分かりづらかったらすみません。

 

 

さて、この優勝で國學院大學は6月7日から始まる日本大学野球選手権に進むことになりました。

久々の全国の舞台で、伸び伸びとプレーして欲しく思います。

一方、私がなんの恥じらいもなくOB面している我が立教大学は、慶応義塾大学との天王山で連敗したため非常にヤバい状況に追い込まれました。

母校同士の全国大会での戦いを密かに期待していただけに、この結果は残念でした。

しかし、まだ微かに優勝の可能性は残っています。

そのためには明治大学に連勝し、早慶戦慶應が連敗することが条件となります(それ以外にもいくつか条件がありますが、これが一番わかりやすい)。

大丈夫です。

前回(2017年春季)の優勝時も、最終週の早慶戦の結果待ちでした。

早慶戦第二試合は私が実況を担当するので、もしそこで立教の優勝が決まった場合どんなテンションで何を喋るのか、今から考えておきたいと思います。

この悩みが徒労で終わらぬことを願いながら、今後の戦いを見守っていく所存にございます。

ちなみに、私は全日本大学野球選手権も何試合か実況席に入ります。

立教大学vs國學院大學を私がしゃべる可能性も無くはない!

夢は膨らむばかりです。

 

 

ここまでつらつらと書いてきましたが、いかがでしたか?

私はなんだかすっきりしました。

更に嬉しいことに、偶然この記事を見つけた國學院時代の野球部の同期が連絡をくれました

「頑張っていることを知って、嬉しくて連絡した。俺も負けないように頑張るよ。」

とのことでした。

書いてよかった。

次は初の全国制覇へ。

我が國學院大學の快進撃はきっと続いていきます。

 

 

おわり

國學院大學の優勝に思いを馳せる②

前回はこちら。

國學院大学の優勝に思いを馳せる➀ - 実況アナの自慰的コラム (hatenablog.com)

 

 

続いて驚かされたのは、待遇の違いでした。

推薦組はたまプラーザにある選手寮に入り、寝食を共にしながら学生生活を送ります。

しかしながら、一般入学組はそれを許されず、自宅からの通いを義務付けられました。

これには理由があり、我々一般入学組はいわば「仮入部員」で、まだ正式に入部を許されていない立場であったため。

恐らくは、この状態で数カ月様子を見て、入部に値するかどうかを判断するということだったのでしょう。

私は船橋の実家暮らしだったため、毎日5時に起きて2時間半かけてたまプラーザまで行き、夜遅くに帰ってくるという生活を続けることになったのでした。

 

 

ハードな練習に加えてのこの生活ですから、相当堪えました。

日々の練習にも様々な決まりごとがあり、それを事前に知らされていない私は常に戸惑っていました。

リーグ戦が始まると、神宮球場に荷物を運んだり、ロッカーを整理したり、応援歌を覚えたり、新たにやらなければいけないことがたくさん増えました。

当時はとにかく一生懸命、必死にしがみつこうと頑張っていましたが、身体は嘘をつけないものです。

結果的に、70キロあった体重は60キロほどに落ち、大学の授業もロクに受けられないくらいに疲労が溜まっていました。

そうして、心に秘めていた情熱の炎が段々と小さくなっていったのです。

この生活を続けて2か月くらい経った頃でしょうか、ある雨の日のことでした。

ブルペンで投げ終わった後、学生コーチの一人が声を掛けてきたのです。

「このまま続けてもしょうがないと思うけど、どうするの?」

心のロウソクにフッと息が吹きかけられた瞬間でした。

春季リーグが終わろうとしていた5月の終わり、私は大学野球でのキャリアをあきらめる決意を固めました。

こういう訳ですから、正確に言えば、私は國學院大學野球部に所属できなかった」人間です。

その情けなさや後ろめたさが引き金となって、仮面浪人という形で立教大学を受け直し、大学生活をリスタートさせることになるのですが・・・。

このコラムではあまり関係がないので割愛させて頂きます。

 

 

さて、ここまであたかもいい思い出が無いような書き方をしてしまいましたが、そういう訳じゃありません。

短くも厳しかった数カ月の中には、もちろん良いこともたくさんありました。

その最たるものが「人との関わり合い」です。

当時のチームを率いていたのは、現総監督であり東北高校仙台育英高校を何度も甲子園に導いた名将・竹田利秋氏で、その指導っぷりはそれはまあ厳しいものでした。

そうなると必然的に選手間の団結感は深まっていきます。

私の場合、竹田監督からは全く見向きもされず、話しかけられた記憶もありませんが、そんな一般入学生の哀れな姿を見かねてか、先輩方はよく気にかけてくれました。

当時3年生で日米野球ではエースだった村松伸さん(八戸学院光星國學院大→かずさマジック)は、「俺の部屋でゲームでもやろうや」と声をかけてくれました。

同じく3年生で、指名打者としてベストナインにも輝いた畠山翔平さん(國學院大新日鐵住金東海REX)とキャッチボールをした際には「すごい良いボール投げるなあ。相当速くなるよ!」と穏やかに励ましてくれました。これが自信になって、その後のブルペンでは140キロを投げることが出来ました。ほんの数球だけでしたが嬉しかったです。

2年生だった阿部拓也さん(日大山形)は、よく一緒に投手メニューをこなしました。苦しい時も常に笑わせようとしてくれて、とても助けられたのを覚えています。

鷲尾拓也さん(能代高→國學院大日本通運)もめちゃくちゃ優しかった。低めのストレートが捕手のミットを下から叩き上げるような軌道で、本当に驚きました。あんなボールは見たことがありませんでしたから。

同期では宇野賢士くん(華陵國學院大日立製作所)。彼は甲子園で注目されながらも高飛車な感じが全くなくて、本当にいいヤツだった記憶があります。

 

 

ああ。

なんだか書いていて切なくなってきました。

こうやって振り返ると「あきらめなければよかったなあ」って少し思ったりします。

恐らく今挙げた彼らは、私のことなど全く覚えていないと思います。

ですが、私が彼らを忘れることはありません。

いつか何らかの形で、再びお会いすることが出来れば・・・。

そんなことを心の片隅で密かに願ったりしています。

 

 

つづく

國學院大學の優勝に思いを馳せる➀

先日、東都大学野球リーグ第7週が行われ、國學院大學中央大学を下して2010年秋以来、20季ぶり2度目の優勝を成し遂げました。

一部リーグから四部リーグまで存在する「東都」は、全てのチームに下部降格の可能性があるために激しい競争が絶えず巻き起こり、ゆえに「戦国東都」とも称されます。

その混沌とした環境は多くの強豪チームを生み出す原動力になり、春と秋に行われる2回の全国大会では、このリーグが最も多くの優勝チームを輩出しています。

多くの野球ファンが口にする「人気の(東京)六大学、実力の東都」には戦績に基づく歴とした裏付けがあるわけです。

そのハイレベルな東都を制したのですから、この度の國學院大學の優勝は大学野球界において格別なものだと言えるでしょう。

そしてこの優勝は、ある意味で私にとっても大きな意味を持つものでした。

今回はそのことについて少しお話できればと思います。

 

 

高校時代、私はピッチャーとして大学野球でのプレーを目指していました。

実力的には決して高くはありませんでしたが、度重なる故障(肩・肘)で満足に高校野球を全うできなかったこともあり、余計に次のステージでのプレーに固執していました。

もちろん特待生や野球推薦などはありませんから、まずは大学に一般受験で受からなくてはいけません。

私は高校の先輩がかつて立教で投げていたことを知り、同じ道を進むべく、夏の大会が終わると同時に受験勉強を開始しました。

しかしながら、部活を言い訳に勉強を蔑ろにしていた人間がニ年半の遅れを簡単に取り戻せるはずもなく、第一志望は不合格。

強烈な挫折感を味わいましたが、それでも幸い、第二希望の大学には何とか引っ掛かりました。

立教大学に負けない歴史を持ち、高い野球の実力を誇る名門校。

それが、今季久々に優勝を成し遂げた國學院大學だったのです。

自分の実力が到底及ばないことは十分わかっていました。

しかし、前述のとおり野球に未練があった私は、ほんの少しの望みにかけて進学を決意。

こうして、全国有数の強さを誇る野球部の門を叩くことになったのです。

 

 

入学してみると、まず1年生の中での立場の差に驚きました。

当時は20人ほどの新入生がいましたが、その中で一般入学の選手は私を含めて3人。

他の9割の選手たちは、一般学生が受験に臨んでいるはずの2月、つまり高校を卒業する前から大学の練習や合宿に参加しており、既にそれぞれの関係性は構築され、部内でのしきたりなども把握しきった状態で4月を迎えていました。

更に彼らは野球推薦で入学してきた、いわゆる「野球エリート」。

ちょっとインターネットで名前を検索すれば、すぐにプレー動画が見つかるほどに名の知れた選手たちでした。

中には金沢西から入学した現・日本ハム谷内亮太選手や、華陵を2008年センバツに導いた宇野賢士選手の名前もあったほどです。

自分より実績と才能がある選手たちが、自分より早く大学球界でスタートを切っているという現実。

「こんな中で自分はやっていけるのだろうか・・・」

激しい不安と焦燥感に打ちひしがれたのを、つい昨日のことのように覚えています。

まあ、結果的にはやっていけなかったわけですが。笑

 

 

つづく